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評論家 : 山田五郎さん 『ハイ!喜んで』 ~あらゆる物事におもしろ味をみつけようとする姿勢~

文 / 押条良太(押条事務所) Text / Ryota Osujo(Office Osujo) 写真 /中村利和(BOIL) Toshikazu Nakamura(BOIL)

「機知」という言葉を辞書で紐解けば、「あるものを表現するのに、常人の思いつかないような発想で、しかも的確に述べることができる、すばやい知的活動」とある。山田五郎さんの魅力を語る上で、これほどふさわしい言葉はないかもしれない。話のテーマが日常のほんの些細なことであったとしても、話の流れの中に、知的好奇心をくすぐる蘊蓄やくすっと笑わせてくれるエピソードを織り交ぜる。その絶妙さは、一流のシェフが料理にスパイスをきかせるがごとく、である。今回は、教授の愛称で親しまれる山田五郎さんの機知の正体に迫りたい。

はじめに、生い立ちに触れておこう。山田五郎さんは東京都渋谷区で生まれ、東京で育ったが、9歳の頃に父親の仕事の関係で、兵庫県の西宮市に引っ越しを経験している。「いやあ、つらかったですよ。転入した小学校から甲子園が見えたんですが、転校初日に、校内の案内をしてくれたクラス委員から『あれが日本一大きい甲子園や!』と威張られまして。クラス中、『東京もん』に対する対抗意識が強くて何かというと絡んでくるし、教科書を読ませられるたびに笑われましたし。僕がひねくれたのは、あの頃の理不尽な体験のせいかもしれません」と笑う。

PROFILE

1958年東京都生まれ。9歳から高校卒業まで関西で育ったため、ネイティブともいうべき関西弁を話す。上智大学文学部卒業後は講談社に入社、2004年に退社するまで、『ホットドッグ・プレス』の編集長や総合編纂局担当部長などを歴任。独立後は、多くのバラエティ番組に出演、「教授」の愛称で親しまれている。機械式時計やドクログッズ、アンティークギター、鉄瓶などのコレクターとしても有名だ。著書に『百万人のお尻学』(講談社+α文庫)、『20世紀少年白書』(世界文化社)など。なお、6月中旬には、第2弾となる美術本、『知識ゼロからの西洋絵画史入門』(幻冬舎)を上梓予定。

その後、大阪府の豊中市に転居。「小学校6年の時に、大阪万博があったんです。会場まで自転車でも行ける距離だったんで、塾に行くフリをしてよく通いました。各パビリオンに当時はホステスと呼ばれた女性コンパニオンさんがいて、僕はインド館のホステスさんに淡い恋心を抱いてしまったんですね。何度も訪れるうちに顔なじみになって、平日でお客さんが少ないときにはラッシーみたいな飲み物を出して優しくしてくれるから、ますます夢中になってしまって、通い詰め。お陰で中学受験に失敗しました。僕の初恋は、苦いラッシーの味ですね」。

高校は名門、北野高校へ。「学生運動後の反動で締め付けが厳しかった時代なので、あまりいい思い出はありません。よく授業をさぼって、淀川の河川敷で本を読んでいました」。山田五郎さんは美術部へ籍を置き、美術や文学、音楽の世界へ没頭した。大学は東京の上智大学文学部へ。在学中にオーストリアのザルツブルク大学へ留学し、西洋美術史を専攻した。「当時の美術史界で注目されていた学派の先生方がいらっしゃるということでザルツブルクを選んだのですが、観光シーズンの夏場は物価が高く、それ以外の季節は娯楽が少なすぎて、参りました。オーストリアの冬に舞踏会が多いのは、他に娯楽がないからですよ。勉強する分にはよい環境でしたが、刺激が欲しくて。安い鉄道パスを買い、週末は旅行ばかりしていました」。

卒業後の進路は、美術関係の仕事をしたいという思いから、出版社を志望した。「帰国したのが大学4年の秋。その時期に新卒募集している企業は当時でもマスコミくらいしかなかったというのが、本当の理由ですが。当時は面接に行くだけで交通費がいただけたので、出版社の採用が始まる前にもテレビ局を受けてみたんですが、そこで大失敗をやらかしちゃって。最終面接まで通していただいたのに、内定者の懇親会みたいな席で『営業に興味はないか?』と聞かれ、世間知らずだった僕は『営業がやりたくてテレビ局を受けたわけではありません』と、生意気な口をきいてしまったんです。聞いて下さった方は当然、営業の偉い方で、さらにその上の偉い方で大学の大先輩にあたる方が目をかけて下さっていたらしいのに。もちろん内定は取り消しで、大学の就職課にまで話が伝わって『謝ってこい』といわれたんですが、何度訪ねてももはや会ってさえいただけませんでした。でも、この失敗のお陰で大人になれて、出版社を受けるときは何を聞かれても『ハイ、喜んで!』の“やるき茶屋精神”で臨むことができました」。

評論家 : 山田五郎さん 『ハイ!喜んで』 ~あらゆる物事におもしろ味をみつけようとする姿勢~

現在、『出没! アド街ック天国』(テレビ東京)、『PON!』(日本テレビ)、『地球テレビ エル・ムンド』(NHK-BS)など多くのテレビ番組にレギュラー出演中。雑誌では、『世界の腕時計』(ワールドフォトプレス)、『月刊一枚の繪』(一枚の繪)、『銀座百点』(銀座百点会)でコラムを連載している。

結果、見事、出版業界最大手の講談社に入社。『ホットドッグ・プレス』をはじめ、『ソフィア』、『チェックメイト』、『TOKYO1週間』などの編集を経験。主にファッションを担当し、『ホットドッグ・プレス』では編集長を務めている。 山田五郎というペンネームは、講談社時代についたものだという。「ホットドッグ・プレス編集部の忘れもの置き場に、当時すでに絶版で貴重品だったモンブランのシャープペンシルが一年以上、放置されていて、処分されることになったので、引き取ろうと思ったら、Yamadaとネームが入っていたんです。他人の物を盗んだと思われても困るので、『オレが山田になれば問題ないだろう』ということで、まずは名字が山田になった。その後、僕が架空のペンネームで原稿を書く必要が出たときに、同僚の編集者がたまたま読んでいたマンガの主人公の名前から五郎とつけて、山田五郎になりました」。

テレビに出始めたのは、ほんの偶然から。初めて出演したのは『タモリ倶楽部』である。「仕事仲間のライターさんが番組の構成作家をしていて、あるコーナーにレギュラー出演されていた赤井秀和さんが急遽降板することになった時に、誰か替わりがいないか相談されて。何人か紹介したんですが急な話で断られ、収録に間に合わなくなりそうだったので、行きがかり上、僕が出ることになったんです。交通費がもらえるということでしたので。就職活動のときもそうでしたが、僕は交通費に弱いんですよねぇ」。番組は大盛り上がり。『何でも詳しいおもしろい編集者がいるぞ』という噂が広がり、出演オファーが続々と舞い込んだ。2004年に講談社を退社後は、評論家、フリーの編集者、タレント、コラムニストとして幅広く活躍している。

山田五郎さんといえば、博覧強記の人として有名だ。ジャンルは問わないが、美術に時計、男性ファッション、街に関しては特に詳しい。とりわけ機械式時計の歴史に関しては、時計の専門学校で教鞭をとったこともあるほどだ。幅広い知識を蓄積する記憶力は、驚異的ですらある。

「いや、僕は決して記憶力がいい方ではありませんよ。人の名前も自宅の電話番号も、なかなか覚えられませんし。ただ、固有名詞や数字はダメでも、大まかな枠組みや因果関係は覚えられる。たとえば、カノッサの屈辱という事件の名前や1077年という数字は忘れても、ヨーロッパの中世期にローマ教皇の権力が強大化して神聖ローマ皇帝を屈服させたことは覚えていられる。そこさえ覚えていれば、カノッサの屈辱だの1077年だのは、調べればすぐに出てきます。単語や数字には興味が湧かないけど、背景にある意味や物語を知るのはおもしろい。人間、おもしろいと思ったことは、自然と記憶に残るのではないでしょうか。自分の記憶力の悪さを棚に上げ開き直っていわせていただくと、断片的な知識をいくら覚えても、あまり役に立たないのでは。それよりも、背景にある意味や物語を理解した方が、少ない知識でも会話や文章に活かせて有意義だと思います」。会話の端々で、切れ味鋭く炸裂する知識。その秘密はこのあたりにありそうだ。

しかし、おもしろいこと、好きなことが記憶に残りやすいのはうなずけるが、あらゆる物事におもしろ味を感じるのは、難しいことではないだろうか? 「僕も昔はそう思っていました。でも、どうやらそうでもなさそうだということを、雑誌編集の仕事から学んだんです。雑誌に限らずマスメディアは、作り手がいい、正しい、おもしろいと思ったものやことを、より多くの人に伝えるのが仕事です。自分が興味がないテーマを担当させられても、仕事だからと割り切ってやるだけでは不十分。さらに踏み込んで、無理にでも好きにならなくては、読者を説得できません。で、好きという気持ちは、相手が好きにさせてくれる受け身の感情だと思われがちですが、意外とそうでもないんですよ。最初から苦手意識を持たず『ハイ、喜んで!』のやる気茶屋精神で、見方を変えて、いいところやおもしろいところを探していけば、たいがいのことは自分から好きになれるものなんです。いったん好きになってしまえばこっちのもので、自然と知識も増えてきて、どんどん楽しくなってきます。そんなふうに、好きという感情は、世間で思われているほど受動的で絶対的なものではなく、自分の意志と努力である程度コントロールできるものだと学びました。男女の恋愛でも、最近は好き同士で結婚しても別れてしまう夫婦が少なくありませんが、昔は親が決めた相手と問答無用で結婚させられても幸せに添いとげる夫婦がたくさんいましたよね。それは時代の違いではなく、お互いに好きになろうと努力したかどうかの違いだと思うんです。相手頼みの受け身の姿勢だけでは、好きという感情を抱くことはできても、抱き続けることは難しい。自分から好きになろうと努力すれば、好きになれるだけでなく、その感情を持続させることもできるのではないでしょうか」。

山田五郎さんの話を聞いていると、だんだん世の中がおもしろおかしいものに思えてくる。そんなたぐいまれなる機知の正体は、あらゆる物事のおもしろ味を見つけようとする生き方そのものにあったのだ。

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