山田五郎さんといえば、博覧強記の人として有名だ。ジャンルは問わないが、美術に時計、男性ファッション、街に関しては特に詳しい。とりわけ機械式時計の歴史に関しては、時計の専門学校で教鞭をとったこともあるほどだ。幅広い知識を蓄積する記憶力は、驚異的ですらある。
「いや、僕は決して記憶力がいい方ではありませんよ。人の名前も自宅の電話番号も、なかなか覚えられませんし。ただ、固有名詞や数字はダメでも、大まかな枠組みや因果関係は覚えられる。たとえば、カノッサの屈辱という事件の名前や1077年という数字は忘れても、ヨーロッパの中世期にローマ教皇の権力が強大化して神聖ローマ皇帝を屈服させたことは覚えていられる。そこさえ覚えていれば、カノッサの屈辱だの1077年だのは、調べればすぐに出てきます。単語や数字には興味が湧かないけど、背景にある意味や物語を知るのはおもしろい。人間、おもしろいと思ったことは、自然と記憶に残るのではないでしょうか。自分の記憶力の悪さを棚に上げ開き直っていわせていただくと、断片的な知識をいくら覚えても、あまり役に立たないのでは。それよりも、背景にある意味や物語を理解した方が、少ない知識でも会話や文章に活かせて有意義だと思います」。会話の端々で、切れ味鋭く炸裂する知識。その秘密はこのあたりにありそうだ。
しかし、おもしろいこと、好きなことが記憶に残りやすいのはうなずけるが、あらゆる物事におもしろ味を感じるのは、難しいことではないだろうか? 「僕も昔はそう思っていました。でも、どうやらそうでもなさそうだということを、雑誌編集の仕事から学んだんです。雑誌に限らずマスメディアは、作り手がいい、正しい、おもしろいと思ったものやことを、より多くの人に伝えるのが仕事です。自分が興味がないテーマを担当させられても、仕事だからと割り切ってやるだけでは不十分。さらに踏み込んで、無理にでも好きにならなくては、読者を説得できません。で、好きという気持ちは、相手が好きにさせてくれる受け身の感情だと思われがちですが、意外とそうでもないんですよ。最初から苦手意識を持たず『ハイ、喜んで!』のやる気茶屋精神で、見方を変えて、いいところやおもしろいところを探していけば、たいがいのことは自分から好きになれるものなんです。いったん好きになってしまえばこっちのもので、自然と知識も増えてきて、どんどん楽しくなってきます。そんなふうに、好きという感情は、世間で思われているほど受動的で絶対的なものではなく、自分の意志と努力である程度コントロールできるものだと学びました。男女の恋愛でも、最近は好き同士で結婚しても別れてしまう夫婦が少なくありませんが、昔は親が決めた相手と問答無用で結婚させられても幸せに添いとげる夫婦がたくさんいましたよね。それは時代の違いではなく、お互いに好きになろうと努力したかどうかの違いだと思うんです。相手頼みの受け身の姿勢だけでは、好きという感情を抱くことはできても、抱き続けることは難しい。自分から好きになろうと努力すれば、好きになれるだけでなく、その感情を持続させることもできるのではないでしょうか」。
山田五郎さんの話を聞いていると、だんだん世の中がおもしろおかしいものに思えてくる。そんなたぐいまれなる機知の正体は、あらゆる物事のおもしろ味を見つけようとする生き方そのものにあったのだ。